研究内容

先端的な量子計測・レーザー分子分光計測で切り拓く​
物質表面界面における水の分子科学

水分子が深く関与する表面界面現象は、物理学・化学・工学・生物学・地学・天文学といった広い範囲の分野において基礎・応用の両観点で極めて重要な研究対象です。私たちは、22世紀の礎(いしずえ)となる人類の新たな学理を構築することを目指し、学術的にも実学的にも興味深く重要な水の表面界面現象を原子・分子レベルの目線で解き明かす基礎研究を展開しています。

特に、従来の限界を超えた新しい実験手法やアプローチ法を開発することで新たな発見や知見をもたらし、そこから独創的な価値やアイデアを生み出し次代をリードしていくことを目指しています。

研究の概要 / Research Abstract

表面界面における水分子集合体の​
​特異的な構造物性・化学的機能・量子ダイナミクス
水分子は最も身近で自然界に豊富に存在する分子の一つであり、様々な物質の表面や界面に凝集(吸着)して“触媒・腐食・接着などの化学反応”や“光触媒・燃料電池・太陽電池などの物質・エネルギー変換”、更には”DNAやタンパク、細胞が織りなす生命現象”において本質的に重要な役割を果たしています。

このような水分子が本質的に関わる重要な緒現象において、対象となる物質の表面・界面に形成される水分子の特異的な水素結合が機能発現において決定的な役割を担っていることは漠然と認識されている程度であり、個々の現象において、「どのように特異な水素結合構造が表面・界面に形成されているのか?」、「いったいどのような局所サイトや相互作用が水分子及び表面・界面の機能やダイナミズムを創発させているのか?」等の本質的な問題に対する微視的かつ具体的な知見は未だほとんど皆無の状態です。
  • Electrochemistry & Catalysis, etc.

  • Tribology & Adhesion, etc.

  • Astrochemistry & Astrophysics, etc.

  • Biology & Physiology, etc.

表面・界面のような対称性が著しく低下している環境においては、”極性分子である水分子の向き(電気双極子の向き≒水素のH-up/H-down配置)”が水分子凝集系の重要な物性や化学的機能、生命機能を決定づけていると考えられます。しかし、水素は最も軽く周囲の電子数が最も少ない元素であるため、既存の多くの実験手法では表面・界面における水分子の向き(水素のH-up/H-down配置)に関する情報を得ることができませんでした。
私たちは、水分子凝集系における水素の配置(H-up/H-down配置)を解明することができる先進的な非線形レーザー分子分光法を実験研究の基軸として、実用物質の不均一な表面やナノレベルで構造を制御したモデル固体表面に吸着・凝集した水分子の水素結合系がどのようなメカニズムで特異的な構造物性や化学的機能、量子ダイナミクスを発現させているのかを解明すること取り組んでいます。
赤外光と可視光を同時照射する“和周波発生(SFG)振動分光法”の様式図

赤外光の振動数が分子振動モードの固有振動数と共鳴する際に、非線形光学効果により赤外光と可視光の和の周波数を持つ光が生成されます。この和周波光を“ヘテロダイン検出法”という光学干渉を利用した光検出法で観測することで、従来の実験方法では解明できなかった“水分子凝集系の水素の配置(H-up、H-down構造)”を解明することが可能になりました。

当グループでは、この実験手法を“世界初”で金属体表面上の水分子凝集系に応用することに成功し、開拓的な研究に取り組んでいます。

【解説記事】分子科学会誌(2020)
      日本化学会誌(2020)

また、この手法以外にも赤外~可視~紫外~X線領域の様々な光(連続光・パルスレーザー光)や電子線、走査型プローブ顕微鏡を組み合わせた最先端の実験手法を開発することにも精力的に取り組み、水分子(及び水素)が深く関わる重要な表面・界面緒現象に対して“真に”有用で本質的な分子レベルの知見”をもたらすことにも挑戦しています。
固体表面に凝集した分子の構造や振動・回転などの運動状態を単一レベルで観察する顕微分光の模式図

分子の回転励起を介したトンネル電子の非弾性散乱過程は、これまでの理論的枠組みで取り扱うことが困難でした。当グループでは、この物理メカニズムを解明する理論を“世界初”で提唱することに成功し、走査トンネル顕微鏡を用いた単一分子の回転分光研究の物理化学的基礎を構築しました。

【原著論文】Phys.Rev.B誌 (2017,速報)

現在は、この手法を更に発展させ、非線形光学(量子光学)や極微フォトニクス・プラズモニクスを高度に組み合わせることで、水分子集合体の新規な物性や化学機能の発現に資する特異な水素結合の構造やダイナミズムを微視的に解明できる革新的な実験手法の開発にも世界に先駆けて挑戦しています。

こうした微視的かつ本質的な知見を積み上げることによって、「表面・界面における水分子の特異な水素結合(水素の局所構造)を制御し、付加価値が高い物理的・化学的特性・生命機能を意のままにデザインし創発させる」という革新的なイノベーションにつながる基礎研究で世界をリードします。
Q. 表面・界面分野の研究の面白さや挑戦性について、より詳しく教えてもらえませんか?
A. 表面界面系の分野の面白さ(挑戦性)を象徴するものとしては、「神が作りし固体(バルク・3次元周期系)、悪魔が作りし表面」というノーベル物理学者W.Pauli(パウリの排他原理の人)の言葉が古くから残っています。とりわけ、私たちが研究開拓を志している、触媒化学や環境エネルギー化学、接合・接着工学や生命科学などで重要となる『実材料・実物質の表面界面系』に関しては、構造の不規則性・不均一性・動的乱れ・環境敏感性などの厄介な複雑性・非理想性が本質的に顕在化しており、これまでの実験・理論的アプローチでは難攻不落な研究対象でした。私たちは、まさに『悪魔の化身』とでも称すべきこの高難度な未解決研究課題に対して『新たな発想や次世代計測技術、深い洞察力と熱いスピリット』を武器に真正面から立ち向かい、表面界面現象が深く関わる重要な諸分野の基礎科学を新たに切り拓くことに情熱と志を燃やしています。

特に私たちは、この数十間年の物質創成の大きな方向性・コンセプトであった『元素戦略』の枠組みでは扱いきれなかった「悪魔が作りし表面(by W. Pauli)」に真摯に対峙しています。とりわけ、触媒化学や環境エネルギー化学、接合・接着工学や光デバイス工学、真空工学、更には大気科学や生命科学といった様々な分野において実は極めて重要な『実材料・実物質の表面界面系』に関しては、その表面界面構造は本質的に不規則・不均一であり、動的な乱れも顕著で周囲の環境に敏感に応答し激しく変質するかなり厄介な『複雑性・非理想性』が顕在化しています。まさに『悪魔の化身』とでも称すべき難攻不落の研究対象であった『実材料・実物質の表面界面系』に対して、私たちは新たな発想や次世代実験技術、深い洞察力と熱いスピリットを武器に真正面から立ち向かっています!
具体的テーマの詳細については、下記「研究トピック」へお進みください。

専門分野 / Fields of research (key words)

  • 表面界面物性

    Surface & interface science
  • 分光学

    Molecular spectroscopy
  • 物理化学

    Physical chemistry
  • 機能物性化学

    Functional chemistry
  • 宇宙物質科学

    Astrophysics & Astrochemistry
  • 真空工学

    Vacuum engineering

研究トピック/Research Topics

1. 固体表面における水分子の配向解明と
新奇物性・機能開拓​~水素結合を刺激し未知の物性・機能を創発させる
境界(表面・界面)条件の探求とデザイン~

 物質の表面に吸着・凝集した分子は、吸着分子間に加えて物質表面とも複雑に相互作用します。私たちは、構造を原子レベルで精密制御した金属・非金属の表面を超高真空環境下で準備し、構造がよく規定された様々な表面を舞台として織りなされる水分子間の多体相互作用・多体効果の研究に注力してきました。特に、OH伸縮振動領域のヘテロダイン検出SFG分光法を『水分子の配向(水素の配置)に感度がある革新的な構造解析法』と独自に位置付け、この手法を世界に先駆けて固体表面上の水分子系の研究に応用してきました。​

 私たちの開拓的な研究により、PtやRhなどの電気化学的に重要な表面における水分子のH-up・H-down配向状態が明らかになってきました。また、そうした境界領域の水分子層の配向構造が、水素結合で繋がっている水分子の集合体(氷薄膜)全体の新奇な物性の創発に重大な影響を及ぼしている事が明らかになってきました。例えば、Pt(111)表面上に形成させた結晶氷の薄膜においては、H-down配向でピン止めされた表面第一層の水分子層の影響により、通常の氷では発現し得ない高Tcの強誘電状態が創発されることや、昇温に際して特異な相転移(常誘電転移)挙動が発現すことなどが世界初で見出すことに成功してきています。​

2. 氷表面における特異な水素結合構造と
ダイナミクス~軽い水素と重い酸素が織りなす
水分子の多様な振る舞いと量子効果の探求~​Quantum dynamics and anomalous isotope effects
on water hydrogen bonds​

 氷は地球や宇宙に遍在し、その表面は、極域上空や星間分子雲等の低温環境で起こる種々の化学反応・分子進化の重要な反応場として機能しています。そうした氷表面の機能や反応性の微視的起源に迫るには、氷表面の水素結合に関する分子レベルの知見が不可欠です。しかし、氷のような分子性固体の表面構造を精緻に決定することは、最先端の表面科学計測手法を用いても容易なことではありませんでした。​

 私たちは、OH伸縮振動領域のヘテロダイン検出SFG分光法を『非破壊的な氷表面構造解析法』として着目し、この手法を世界に先駆けて結晶氷表面の研究にも応用してきました。こうした先駆的な取り組みにより、六方晶の結晶氷の表面においてはバルクでは安定的に存在できない5・7員環からなるアモルファス的な水素結合ネットワークが熱力学的に安定に形成され得ることや、表面の水素結合の強さが水分子のH-up・H-down配向に依存して変化する等の、表面においてのみ特異的に発現する新奇な構造緩和現象の存在が明らかになってきました。​

 また、昇温脱離法や赤外吸収分光法を高度に組み合わせた水素結合ダイナミクスの研究により、水分子間の水素結合に隠された量子効果や表面水分子特有の自己イオン化効率の異常増強効果などを世界初で実証することに成功してきています。​

3. 従来の計測限界を突破した新しい極微非線形分光法の開発と
物質分子機能の起源解明

 一般に光は波であり、その回折限界(集光限界)の制約により波長程度のスケールよりも微細な領域に集光することが困難である。ところが、波長よりも微細な金属ナノ構造体にある種のパルスレーザー光を照射すると、その光が構造体近傍のナノ領域に閉じ込められ光強度が局所的に数桁も増大することが知られています。原子レベルで位置制御可能な金ナノ探針の先端でこの光の局在・増強現象を引き起こすことにより、究極的には光の回折限界(集光サイズ限界)を超えた原子レベルの空間分解能で物質表面の分光学的特性を調べることが可能となります。

 私たちは、金探針のナノスケールの先端形状とマイクロメートルスケールのシャフト形状の両方を精密に制御することにより、探針と物質表面のナノギャップ空間における非線形な光学応答の増強現象が、従来から知られている可視域のみならず、赤外域にわたる非常に広い波長領域において発現することを発見しました。現在は、探針先端のナノ領域で発現する赤外光パルスと可視光パルスの二次非線形光学過程をデザインし自在に制御するための基礎学理と基盤技術の確立に取り組んでいます。これにより、物質の表面界面及びその周囲のナノ分子凝集系の特異物性や新奇機能の発現に本質的に関わる局所的空間反転対称性の破れや動的・静的構造不均一性の起源に直接アプローチ可能な非在来型の極微非線形分光法の開発に取り組んでいます。

 また、新奇な物質表面界面分子計測技術としての早期応用展開により、表面・界面が本質的にかかわる『触媒・電気化学・電池・光触媒などの環境エネルギー技術』の革新や『分子トランジスタ・スピントロニクスなどの次世代エネルギーデバイス技術』の発展、及び『次世代モビリティ・光技術イノベーションの鍵を握る有機無機異種材料/複合材料の接合・接着技術』 のブレイクスルーを目指しています。

4. 水分解光触媒の反応メカニズム解明と
高活性表面のデザイン​・自在制御~“表面科学”を“触媒化学”に真に役立てる
オペランド表面分子分光研究の挑戦~​

 太陽エネルギーを利用して水の酸化還元反応を誘起し、クリーンなエネルギー源となる水素を発生させる水分解光触媒は、資源・エネルギー・環境問題を根本的に解決しうる夢の化学技術です。この革新的な化学技術を実用に耐えるレベルにまで昇華させるには、量子収率(吸収した光子が化学反応に使われる割合)を飛躍的に向上させる必要があります。そのためには、光照射で生じた電子(e-)と正孔(h+)がスムーズに水分子を分解するために最適な反応場・局所構造を光触媒表面上にデザインし創出することが極めて重要となりますが、実際の反応条件下において光触媒表面上の水分子の吸着構造や反応ダイナミクスを観測することが極めて困難でした。そのため、反応活性の増大に資する微視的な表面科学研究やその知見を生かしたインテリジェントな触媒開発研究は、その重要性にもかかわらず、世界的に見てほとんど手つかずの状態でした。

 私たちは、室温の水蒸気雰囲気下で光触媒表面を水液膜で覆い、その膜厚を一分子層レベルで単一吸着層から多層膜にわたって自在に制御する基礎理論と技術を確立してきました。これにより、反応に直接関与する触媒表面近傍の水分子を反応条件下で分光観測するという、革新的なオペランド分光研究を展開する道が拓けました。この手法を応用して、粒子の形状や凝集度の異なるTiO2やBiVO4などの種々の光触媒微粒子において赤外振動分光や光誘起電荷の過渡吸収分光計測を行ってきました。​

 その結果、「光触媒微粒子の凝集度が高いほど界面が効率的な電荷捕捉サイトとなり反応活性が増大すること」や、「同じ元素・結晶相から成る光触媒であっても、球状のナノ粒子の場合には表面と極めて強く相互作用する水分子が特異的に存在でき、その吸着水によって、球状の粒子の方が平坦な粒子よりも光誘起電荷が効率的に捕捉されること」などが明らかになってきました。こうした一連の研究により、『粒子の凝集状態』や『表面構造』、更には『吸着水の水素結合構造』も光触媒の反応ダイナミクスや反応活性を支配する重要なキーファクターになるという、高活性な実用光触媒表面のデザインとエンジニアリングに不可欠な概念を世界に先駆けて実証・提唱してきています。

5. 水を酸化・還元剤とする
極低環境負荷の革新的有機光合成~表面におけるラジカルエンジニアリングが拓く
次世代触媒化学・合成化学・石油化学~

 高付加価値なファインケミカルズや医薬品を生成させる有機合成反応の大部分は、アップヒル型(ΔG>0)の反応であるため、通常は反応が進行しません。そのため、高温の条件や、金属を含む反応試薬を添加し反応を無理やり進行させるなど、大量のエネルギー消費や金属塩等の有害な廃棄物の大量副生を伴うことが余儀なくされています。今後の持続可能な社会の実現には、①エネルギー消費を究極的に抑制しつつ、②廃棄物の排出量を極限的に低減させたクリーンな有機合成手法を開発することが必要不可欠です。

 光触媒は、光のエネルギーを利用することで、室温において有害な廃棄物を大量副生することなくアップヒル型の反応を誘起することが可能となる低環境負荷の化学技術となり得ます。私たちは、水分解光触媒に対する一連の開拓的な研究で培ってきた表面科学的なアプローチを応用し、水を反応試薬とする有機合成反応系に光触媒技術を拡張し、理想の次世代分子変換システムの創成を目指した研究展開も行ってきました。​

 手始めに、もっとも単純な有機分子(炭素が一つ)であるメタンに着目してC1光触媒化学の開拓に挑戦してきました。メタンは天然ガス中に最も豊富に含まれていますが、極めて高い安定性のため、これまで有効に資源活用されてきませんでした。私たちの挑戦により、水蒸気雰囲気下の光触媒反応でメタンのC-H結合が効率的に活性化されるメカニズムや、CO2への完全燃焼を抑制しラジカルカップリングで付加価値の部分酸化種(エタンやメタノール)を生成させるための表面科学的な知見が明らかになりつつあります。こうしたメタン転換の知見を土台として、より複雑な有機分子を反応選択的に光触媒で合成するために必須となる表面ラジカルエンジニアリングの概念を確立することにも注力しています。​

6. 極低温固体表面における水素分子の核スピン(オルト-パラ)転換~ 精密ラボ実験よる宇宙科学の開拓:
星間分子と固体表面系の高次の電気・磁気相互作用が織りなす核スピンダイナミクス~

 水素分子は、宇宙に最も豊富に存在する分子種として星間空間における物理・化学過程にも重要な役割を果たしています。近年,遠赤外線天文観測技術の進歩によって星間分子雲中の水素分子の分光が行われ、オルト/パラ比から求まる核スピン温度が回転温度と一致しないという観測結果がしばしば報告されています。回転温度と核スピン温度は観測した分子雲環境の現在と過去の温度を反映していると考えられており、これらを解析することで星間分子雲の熱履歴や年齢、さらには星形成メカニズムの解明につながると期待されています。また、分子雲のような極低温の環境では、オルトとパラでは他の分子との反応性が大きく異なることから、水素分子のオルト/パラ比は分子雲における化学反応(宇宙分子進化)に重大な影響も及ぼしています。​

 核スピン多重度の変化を伴う水素分子のオルト-パラ転換は、気相の孤立系では禁制な過程です。しかし、星間物質との相互作用によってオルト-パラ転換が誘起される可能性があるため、代表的な星間物質においてどのようなメカニズムで転換が誘起され、それがどの程度の時間スケール(転換確率)で進行するものなのかを地上のラボ実験で明らかにしていくことは、表面科学研究者の重要な使命です。​

 私たちは、星間空間を模した極低温・超高真空チャンバーを用いて、表面構造や電子状態を原子レベルで制御・規定した様々なモデル星間物質表面における水素分子のオルト-パラ転換過程を計測しています。特に、分子雲において星間塵を覆う主要な物質であるアモルファス氷(水分子が非晶質的に凝集した氷)の表面における実験に注力してきました。水分子は閉殻分子であるため、氷表面においては核スピンと直接相互作用が可能な電子スピン由来の表面磁場は存在しません。そのため、従来の研究では、氷表面では転換が起こらないと想定されてきました。しかし、私たちの開拓的な研究により、氷表面においても102-103秒の時間スケールで転換が誘起されることが明らかになりました。既存の理論では説明不可能であったこの未知の転換現象に対し、「氷表面の強い電場によって、水素分子の分極が大きく誘起され電子の軌道運動が誘起され、その結果として分子内部で有効となる電子の軌道運動と電子スピンの間の磁気相互作用(スピン起動相互作用)と電子スピンと核スピンの間の磁気相互作用(フェルミ接触相互作用)を介して誘起される」という高次(5次)摂動に基づく新たな理論を構築することにも成功しました。​

 近年では、星間塵のコアを形成している炭素質や珪酸塩鉱物の表面にも研究対象を広げています。特に、従来のREMPIを基軸とした気相脱離分光法を脱却し、表面吸着水素分子の直接分光法によるオルト-パラ転換過程のin-situ観測法を開拓しています。これにより、様々な星間物質表面と吸着分子が織りなす多彩な電気・磁気的相互作用の全容や、極低温環境における転換時のエネルギー散逸メカニズムが解明されつつあります。​

7. 真空容器における水分子流の
特異な非定常ダイナミクス​~壁面境界の効果(吸脱着現象)が無視できない
開放系・閉鎖系における水分子の流体的挙動の解明による真空工学イノベーション~

 真空容器を大気から排気すると、酸素や窒素は直ちに排気されるが、大気に含まれていた微量の水蒸気がしつこく残留ガスとして存在し続けるという現象に直面します。また、水分子排気後に直ちにバルブを閉じ真空容器を密閉した場合には、容器内部の水蒸気圧がジワジワ上昇する現象にも直面します。こうした現象は、真空容器の壁面表面における水分子の吸着・脱離現象が関与していると定性的には考えられており、白熱電球の実用化・長寿命化に関するエジソンの研究においても避けては通れないクリティカルな現象として認識されていました。このように、長い研究の歴史を有しているもかかわらず、水分子の挙動に関する容器排気時(開放系)と容器密閉時(閉鎖系)の非定常的なダイナミクスを表面科学的な観点から定量的に理解することはできていませんでした。​

 例えば、真空容器を大気から排気する際には、水分子の圧力は、排気初期は容器の体積Vとポンプの排気速度Sで決まる時定数τ=V/S(約1秒)による指数関数で減少し、その後は、時間のべき乗則に従ってゆっくりと減少していくと考えられていました。しかし、実際の排気においては、べき乗則が現れる直前の圧力減少過程では、排気の時定数よりはるかに長い時定数をもつ指数関数的な排気曲線(圧力減少曲線)がしばしば観測されてきましたが、こうした現象に対する定量的で合理的な説明はこれまでなされてきませんでした。​

 私たちは,この水分子の排気挙動を表面科学に立脚して解明することに挑戦してきました。特に、容器内壁表面に単一の吸着サイトがある事を仮定したシンプルな吸着脱離レート方程式を用い、真空排気に関する微分方程式と連立させて厳密に解くことにより、容器内面に吸着している分子数と容器内の気相分子数の時間変化を同時に導くことに成功しました。このモデル基づいて遅い排気挙動を定量的に解析した結果、遅い排気ダイナミクスに寄与する水分子の正体が、従来漠然と想定されていた物理吸着水では無く、真空容器壁面のステンレス酸化膜に化学吸着した水分子(吸着エネルギー890 meV)であることが予測され、別途行われた表面科学的実験の結果からもその妥当性が裏付けられました。​

 このように、真空工学において極めて重要となる水分子の排気時(開放系)に加えて、容器密閉時(閉鎖系)の非定常的なダイナミクスに関する新しい表面科学的・物理化学的描像を構築することにも注力しています。​

HPに掲載外の研究テーマも現在進行中ですので、当グループでの基礎研究に興味がある方は気軽にご連絡下さい。

      
  • [超高真空装置の中に創りだす擬似宇宙]
    研究トピック5(精密ラボ実験よる宇宙科学の開拓)より